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偏見と主観をまぶした異文化紹介ブログ
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「コンパ」、という言葉はなんとなく80s'のニオイがします
80年代の大学生
ジーパンにシャツを入れて、肩までシャツの袖を捲り上げたセンター分けの大学生


それを踏襲してか、僕の中では合コンは大学生のものであるという印象が強い

まだ携帯電話が無い時代
風呂やトイレが無いぼろアパートの固定電話の番号を異性に教える叙情性

あまりに便利になったわ、現代は
僕も高校入るまで携帯電話なんぞ持ってなかったのに、今では生まれたそのときから既に持っていたかのような錯覚さえ感じます


昨夜は合コンに行ってきました
そんなもんには縁の無い学生生活を過ごしてきた僕ですが、遂に

ハチ公前に集まって、渋谷のパブアメリカンで見ず知らずの女の子とお酒を飲み、何の害も無い世間話に大輪の花を咲かせる

携帯のアドレスを交換し、携帯で終電をきっちりと調べ、風呂とトイレが付いたマンションに皆帰っていく
メールを打ちながら


やってることの本質は80年代と同じだろうけど、なんとなく何かが欠けたような印象


でも楽しかった
それでも思う、携帯電話なんか無かったら良いのに



もうすぐ夏がやってきます
Protex とかTonightの入ってるパワーポップのコンピのレコードを買ったら、ミステリートラックってのがB面の最後に入ってて、それがなぜかバグルスのラジオスターの悲劇でした


今朝6時ごろに目が覚めて、酷い二日酔いで、水をコップに一杯飲んだあと昨日買ったレコードをかけた
ラジオスターの悲劇は、学生が一人住む狭い部屋を包む

良かった、僕の部屋は、大丈夫だ

胡坐をかいて夏を待とう
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また夏が来ようとしています

22歳の夏



”悲しみ(かなしみ)は負の感情表現のひとつ。

中略

一般的に愛情、友情、依存、共栄の対象が失われた時に見られる。”
(wikipedia)


何も失わない、失っていないはずの我々若者の心を縛る絶対的な悲しみは、一体どこから来て、またどうやったら払拭できるのか
悲しみとは、ナルシシズムの発現でしょうか
半分はそうだと思います
でももう半分は、その人の世界に対する眼の深さ
自己に対して、外的世界に対して、明るい光を当てるのは酷く辛いことです

光を当てると、物事は細部まで明らかになって
そして人に対して明るめられた現実は、直視するにはあまりに悲しすぎます



今がこのまま続いていけば良いのに、と強く強く思います

でもそれは不老不死の薬でも解決できないこと
長く生きていくことを望んでいる訳では決して無いからです
また、たとえ時を止める技や機械があったとしても、全く意味を成すには及びません
停滞してしまった現在には僕の深く混沌とした興味なぞ注ぐには全く値しないからです

とにかく、今が大事だ、あまりにも

今日はバランタインを飲みながら
またちょくちょく書いていきます

シュウカツで忙しくてあんまり更新できてないけども

とりあえず、一個内定がでました

良かった

と同時に未来が、自分の未来が明るく照らされすぎて、泣きそうになりました

会社で働いて、結婚して子どもができて、家をもって、ある程度出世して、退職して、孫が出来て、死ぬところまで

寸分たがわず予想が出来ます
そして、きっとこの通りに僕は進んでしまう

幸せな未来が、この手の中にある


なんて残酷なんでしょう、人生とは

月並みだけど短い人生、せめてやりたいことをやりたい、といまこそ心から思うべきだ


明日も面接だ、寝よう

今週末はFast Carsの東京公演に行きます

こんばんは

今日は吉祥寺の喫茶店に行きました
井の頭公園に臨む席に座って、ただただ徒然

僕は喫茶店が好きだ

イスに座る
注文する
コーヒーを飲む
本を読む
外を見る
なんか考える

喫茶店にいるときは、一生掛かってもやりきれないほどにやることがたくさんある

喫茶店は決して時間つぶしをする場所ではない
あくまで目的

さあ、今日も喫茶店へ行こう、という場所なのだ

コーヒーに映る自分の姿でも眺めようじゃあないか










こんばんは

久しぶり

そつぎょうおめでとう

セントパトリックスデイですし、今日はアイルランドのアンダートーンズ

はい、かっこいいですねー
ほんと、かっこいいと思う

今日も懲りもせずにシュウカツネタで攻めましょう
考えられるうちに考えておくよ

今日はトルストイの「人生論」を交えて
影響受けまくってます、最近

そもそも、就職しよう、就職するのが当然と言う意識はどっから出てくるのでしょうか
それは、僕らは慣例や常識と呼ばれるものでしか自分の感情を支えることが出来ないからであると

例えば、ある考えが頭に浮かんだとする
何でもいいわ
例えば「有名な企業で働きたい」とか

これは、強烈な確信を持って思考者の元に立ち現れる

なぜなら、自分はマジョリティだからだ
この世の圧倒的多数がこう思っているに違いないと自分が思い込むことにより(結局は思い込みなのだが)、強烈に強固な確信、つまり個々人の選択肢の「正解」の意識へと変わる
慣習とか、人は昔からそうしてきたという意識もそれを助ける
「みんなやってるから、思ってるから私の考えは正しい」
こういうことになるのだ



しかし、例えば「俺は就職しない、俺は今から南米へ行ってコーヒー栽培をやりたい」
て考えは、前例がないし、他の人が正しいと思っていると思い込むことも出来ない
これには自分の感情を支えてもらう材料が存在しない

結果後者の考えを持ったひとは悩み、自分が間違っているかもしれないという不安な意識に苛まれる

僕らの判断基準は、大概こんなものです
他の人も正しいと思っているだろうと思い込むことから出発している
仮初めの確信、正道なのだ

それにしても、なんと人は弱いのでしょうか

だからこそ、前者の社会的判断に依拠せず、後者的な意志を大袈裟なほどに信じる、一種アホらしい態度が必要なのだ
紛らわされず、今こそ本質を見極めたらどうか
「正しいかどうか」人はそれで判断する
でも本当に重んじるべきなのは、その奥に隠された「本当にやりたいかどうか」じゃあないのか



正解なんて無い、だから若者よ、あなたの考えも、きっと正しい、と思うよ

うへー上から目線
半分自分に対してでした






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