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偏見と主観をまぶした異文化紹介ブログ
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今、岡山におります 

色んな事があって、逃げるように岡山に帰ってきました
体調も、かなり壊し気味

ここでは不安な事、辛い事、色んな事が段々と消えていきます
何も考えず、起きて、本か漫画読んで、家の周りを散歩して、飯食って、寝る、という生活

僕は最近、自動車学校に通い始めました
朝、弁当を作ってもらって送迎バスで学校まで行って、ヤンキーや高校生に混ざって授業を聴き、煙草を吸い、空いた時間は一人で本を読み、また夕方頃に送迎バスで帰宅します
送迎バスは少し家から遠めの所で降ろしてもらって、2、30分程散歩をして家まで帰ります
岡山は、うちの辺りは岡山でも特に田舎なんだけど、すごく陽射しが綺麗で、秋の高い空も抜けるように青くて、少し紅葉し始めた山の端と空の境目が、透き通るような夕暮れに光るのを眺めながら、僕は夕日に染まった岡山を歩いています

最近は丁度稲刈りの季節なので、むせるような稲の匂いと、田焼きの煙の匂いも心地良いです

年寄りが死んでいき、若者が都会に出て行くくらいで、子どもの頃に僕が遊んでいた頃と町は何も変わらない
僕が東京にいる時と同じように時間は確実に流れているけれど、それが少しだけ、遅く感じるような今の牧歌的生活を、僕はとても愛します





また春が来たら東京へ行くんだろうな
今はちょっと難しいけれど、次に上京する時は、きっと藤子不二雄の熱情を連れて





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 おひさしぶりの更新で

ここに文章を書いてない間、僕の周りではいろいろな事が起こった

そしてぼくは、会社を辞めました
来年の春から大学院へ進学して、学者を、目指そうと思います

僕は考えました
朝早く起きて、満員電車で通勤して、パソコンのキーを叩いて、夜上司と不味い酒を飲んで愛想笑いをする、そのあいだ中、社会人として考える必要のない事を考え続けました

そして辞めました
逃げました、と言った方が正しいかもしれないれど


この半年間を、敬意を表して「地獄の季節」と名付けようと思います
数限りない自省の契機と逃避への積極性を与えてくれたこの半年間の社会人生活に感謝を込めて


僕は、全力で逃げます

 一人で家で飲みながら

社会人になって時が経ちました
この一ヶ月半は本当に、本当に長かった
あとこれを40年過ごせば、立派に人生を全う出来るのでしょうか

昨日は、仲が良い友達の引っ越しを手伝ってきました
結婚して、その新居 人生演劇の始まり
引っ越し作業はすごく、楽しかった
くだらない話をして、重いものを必死で運んで、今後の二人の生活を想像して、美味しいご飯を食べて
すごく弱く悲しく優しく強い二人だ
幸せを祈ります、本当に

今日は国分寺の喫茶店に5時間程いて、そこらの古本屋で本を沢山買いました
アラン・シリトー、サリンジャー、サルトル、ヘッセ、デュルケーム
アラン・シリトーは長距離ランナーの孤独
サリンジャーはライ麦畑でつかまえて、で、80年代のもの
これで60、80、90、00代のものを集めました(計6冊)

サルトルは絶版になってる悪魔と神、という戯曲
ヘッセは全集の一巻
デュルケームの自殺論は前に図書館で借りて読んだ事があるんだけど、残念ながら人は忘れる生き物で
買いました
多分40歳くらいまで読まないと思います
40歳になったら暇つぶしに読むかも
なにしろ論文なんてものは、おそろしく退屈だからね

明日は仕事だ
満員の中央線で、明日も行こう


 友部正人という人が好きです

友部という人は知っている気がします、それは音楽の堕落と、文学の悲しさ
自分に明るくて残酷な光を当ててみた時、僕の生きたい死に方は、ビートルズのそれでも、ヒロトやマーシーのそれでもなく、友部という人のそれに最も近いような気がします

友部という人の歌う声を聴くと、昔ロックを聴いて覚えた苛烈な熱情が逆さまになって、アルチュールランボオの弱さで僕を打ちます

昔マーシーがインタビューで言っていました
「中原中也や萩原朔太郎が今の時代に生きてたら、ロックをやってると思うよ」

僕は中原中也や萩原朔太郎がロックをやったら駄目だと思いますが、もしやってしまったら、それが友部という人に最も近いのではないのかと思ったりします

友部正人や高田渡がブルースを歌った遠い昔の吉祥寺の夜、全く知らないけれど、それがあったんだろうと思うだけで僕は本当に嬉しい


”もう秋だ!
しかし何故永遠の太陽を悔やむのか

我々は清らかな光を心差すべきではないのか
季節の上に死滅する人々から遠く離れて”

アルチュウル・ランボオ

寝よう


週末は終わりを迎えました

休日というのは実に楽しい
いつの日かこの街を出て行く僕らだから、と誰かが歌ったこの休日を僕は一体後何回乗り切ったら本当の安息がやって来るのか

週末というのは悲しいもので、その喜びの中に必ず哀愁の月曜日が内包されていて
だからこそ仮染めの安寧は高らかにその価値を放つのかもしれないとは矢張り思いますが
それでも、そんな安息は、なんだか悲しいじゃないか

人間は残念ながら飯を食わないといけない動物で
故に労働は生きる為に必要なわけで


社会人の虚しさは僅かな正当性や幾許かの金銭と引き換えに輝ける午前の太陽と昼下がりの堕落を売り払う所にあり、それ以上にその売却行為に二次的な満足、やりがいと言う安っぽい生き甲斐を必死に見出して信じ込もうとする所にある気がします

でもそこにやり甲斐を見出す行為に背を向けてみたところで、それも同様に苦しく悲しい
今僕がしているような、卑屈な愚痴が口から滝のように流れ出るから

世阿弥の言った美しき時分の花の枯れゆく様は、人が自身の生に薄汚れた充実を見出す行為に似ています

明日から仕事だ
そんなに仕事が嫌な訳ではないんですが
仲いい友達も出来たし、仕事もやっているときは楽しいし
暇つぶしとしては、僕はいいと思います

友部正人聴いて寝よう
最近友部しか聴いてないよ

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