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偏見と主観をまぶした異文化紹介ブログ
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 どうもこんにちは
最近は、いろいろと考えさせられるところが多いです
考えるといっても、今までとは違って実際的な選択についての思惟、といったものがその殆どを占めてはいますが

それは何故か。理由は、明々白々に僕の年齢と立場に起因します
選択と決定を下さなければならない現状が、僕にそうさせているようです

それでも、それはとても充実しています
今までみたいに、例えば生とか死とか、好きなものについて、とか、考えても意味が無い、と言ったらあれだけど、考えても考えてもどうしようもないことについてあれこれと思案するのと違って、今の実際的、生活的な思惟は、明日の金銭とか、食事とかに、確実に影響を及ぼしてくるから

そう言った意味で、今、僕は大学院へ進学して学問をやる訳ですけれども、例えば大学教授を目指すにしても、最大限の努力を続けるという前提のもと、どれくらいになったら飯が食えるのか、その為にはどれだけのお金と年月を使って、不確定要素はどれくらいあるのか

修士課程修了後に就職をするとしても、どんな職業が可能で、それはどうなのか
その選択にどうやったら満足することが出来るのか

なんてことを考えるのは、とても楽しい作業ではあります
ものすごく不安と恐怖が伴いますけれど
なにしろ僕は今、ストレスでアトピーがすごいです



ベートーベンの臨終の言葉として、有名な「喜劇は終わった」というものがあります
僕は結構それが気に入っています
ふとした瞬間にそれを思い出して、ニヤリとさせられることがあります

僕の人生は鳥瞰すると、諸処の淀みを考慮に入れても、一介の若人の人生と全く相違ないものであると思います。勿論これからもずっと。

いつか死ぬ時になって自分の生を反芻しても、それは先人の呈示してきた人生のモデルと全く同じものであるのでしょう

型通りの人生を送る僕
それでも、これは最近常々考えることなんですが、どうやら僕の人生の型は他人と同じように見えるのに、それを一瞬一瞬で切り取って見れば、そこには溢れる差異性が存在し、それが僕の生全体に差異性を与えているのではないか、と

つまり、全体としては普通だけど、一瞬一瞬で見ていけば、僕の人生は確かに唯一僕自身の生であるような気がするのです

これはゼノンのパラドックスだとか、ヴィトゲンシュタインの写像理論批判に見るような、全体と部分の問題なんでしょうが、要するに全体を無数に切り取ってもそれは無数の部分になるかもしれないが、無数の部分は一個の全体にはならない、という感じです(適当でごめん)

型通りに見える人生全体の中に、例えば酔っぱらって駅のホームで嘔吐している時とか、トイレに座っている時とか、未来の選択に悩まされまくっている時とかに、ふと、その瞬間に固有の僕の意識の流れ的なものを発見して、むふふ、生きてるねい、となる(この下りはベルグソンでも読んでください)

更に、人生全体としては型通りなわけですから、結局どんな風に生きても、こんな風に僕自身の唯一生を体感しても、結局は型通りというか人と同じようにしか生きられないんだなあ、極端な話、いつかどうせ同じように死ぬんだなあと思うと、僕のむふふ感は最高潮に達します

なんたって、これが、「喜劇」そのものではないのでしょうか
自身唯一の何かを信じて日常を暮らし、しかしそれは全て決められた檻の中、敷かれたレールの上の出来事
人生の喜劇性とは、こうしたニヒリズムを笑う、ニヒリズムと闘う自我を笑う、最高の笑い
僕は、こういった意味でベートーベンの言葉は的を得たものであると思うし、大好きです

冗長になりましたが、読んでくださった方、ありがとう


小説を読んでくれると言う方々、メールありがとうございました
意外と沢山頂いて、嬉しい限りです。本当に凡作ですが

しかし実は、今ちょっとお送りできない状況にいまして、もう少しお待ち下さい
ありがとう


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 連投だ

大学院入学を来春に控えて

僕はいま、読書をしています
それは、お金を生む為の読書


学問研究って、何のことが全然分からなかったけど、ずーっと専門書と格闘しているうちに、ある種の地平が見えてきたようで

なんだかこのまま頑張れそうです


はよ飯食いたい
今がおそらく人生で一番困窮しています
本当にお金がない
ざらざらとしたお金の感覚に脅かされながら、ひねもす読書をしている
酒も飲まない、遊ばない
ただこの生活は、恐ろしく充実している



そういえば、小説が書き上がりました
原稿用紙で180枚前後
私の処女小説でございます

おそろしく稚拙、とても他人に見せられるものではない、というのが全く正直な私見なんですが、それでもせっかく書き上がった以上、誰かに読んでもらいたい

ので、読んでくれる人はデータでお送りしますので僕に(shingo1985@msn.com)メールください
(ちゃんと紙に印刷して読んでくれるとうれし)
このまま書き続ければ10年後くらいにはまともなものが仕上がるんじゃないかと思ってます


ざっと梗概をば

東京で大学に通いながら一人暮らしをする主人公
彼はいつも小さな喫茶店で読書をしている、それ以外にはすることのない毎日

そんな平凡な日常のなか、あるきっかけから彼は小説を書き始める
それは大人になることで大切なものを忘れていってしまうであろう自分への寸鉄詩であった…


うーん、まとめるのは難しい
永井荷風の濹東奇譚スタイルで運ばれていく、実際は他愛のない恋愛小説です

よければ読んでみてくださいな





dcd7397b.jpg 








サリンジャーが死にました
少しだけ、懐古を 
僕がサリンジャーに会ったのは、高校1年か2年の頃でした

何かの本があって、ライ麦畑でつかまえてがそれにお薦めという形で載ってた


僕はその本を借りにすぐに学校の図書館に行きました

図書館には、白水社のあの青と白のカバーに、ピカソのあの絵を表紙にしたあの本があった


読んでみて、僕は特に何の感慨も持たなかった
代弁者だとも思わなかった
オーバーだ、と
ただそう思った
そして読んだことすら、すぐ忘れた


この点についての考えは今でも変わらない
現実の若者の心象風景とは、ほど遠い
ライ麦畑でつかまえては、ただオーバーなだけなのだ


僕は高校を卒業して、一年間浪人をした
それから上京して、大学に通い始めた
大学を卒業して、半年だけだけど勤めをした

その間に、色んな人間に出会ったけど、それはどうでもいい
面白い人も、しょうもない人もいた



そうやって年を重ねていくうちに、僕だけの意味がライ麦畑に募っていって、それはいつの間にかかけがえの無い本になっていた


それは読書量が増えたり、理解出来るものが増えたからでは決してない

僕がライ麦畑でつかまえてをすきになった理由は、ただ、思い出が増えて、若い時代が、過去のものになったからなんだと思う


僕は、年をとった
そして過去を眼差すようになった 
それはもう、オーバーに改竄を重ねながら…






サリンジャーが死んだことは、少なからずショックでした

サリンジャーは最早過去の人だったけど、それでもサリンジャーがまだ生きているという事実は、僕の生きている世界に微かな正当性を与えていたような気がするから



でも、僕はきっとサリンジャーの死なんてすぐ忘れるし、彼の生死に関わりなくサリンジャーの本は僕の本棚に並んでいて、これからも、まだまだ何回も読むと思う


ライ麦畑でつかまえて、は俗にいう青春文学なんかではない

あれで何かを思い出すか
昔を懐かしむことが出来るか


ライ麦畑、確かに多くの人が読んでいると思う

でもサリンジャーが死んだって、わざわざ世間がそれを悲しむことはない


だって、ライ麦畑を本当に好きな人が世の中にもっと多いのなら、僕はきっともっと世間をすきになれる
すきな友達が、もっと沢山いるはずなんだ




ライ麦畑は、凝集した現在性だ
瓦礫となった過去を眼差す、歴史の天使だ
それは、僕の本だ



ありがとう。左様なら


かっこつけすぎたー

写真
左から
60年代、70年代、80年代、90年代、00年代、英語版のライ麦畑
ナインストーリーズ
フラニーとゾーイー
ニューヨークで1ドルで買った(というていの)赤いハンチング

00年代以外は野崎孝訳(90年代が2冊出払っていて不在。本当はライ麦畑でつかまえては8冊持ってるんだよ。ほんとうだよ。)
 

 学者を目指します
と豪語してはいるものの、前途は恐ろしく多難

僕は、論文の書き方を知りません



取り敢えず模倣から始めてみよう、と思って、手近に在ったシュッツの『現象学的社会学』の書き方をそっくり真似しながら適当な題材について書いてみようと試みたのですが、矢張り中途で挫折

それではと、「論文の書き方」なる本を二、三冊読んで、成る程、先行研究にあたり、それをまとめあげた上で問題点を浮き彫りにし、それを端緒にして書き始めることが必要なのか、と知ったものの、生憎うちには社会学に関するそんなに沢山の本は無い



そこで今は仕方なく、論文の文体を手に入れる為にサルトルの『存在と無』を模写に近い形で読んでおります

するとこの感覚はすごく懐かしい

僕は何を作り始めるにも最初は必ず模倣(というかほぼ盗作)から始めました
曲作りもそう、小説もそう
好きな人の作ったものに、似たものを作ろうとします


そうすると楽でいいのです
指針になるから

恥ずかしい事に、初めて何かを作ろうという時に、僕は盗作無しでは作り得ません
盗作を松葉杖にして、やっとこさ歩く
そうやって初めて僕は創作という作業を行う事が出来ます

ものを作るという作業は、ひどく苦痛を伴う
少なくとも、地べたに這いつくばるようなかっこわるい作業だと僕は思います

でも頑張ろう
飯を食う為に

取り敢えず目標は、4月までに論文を一本書き上げること




注 ものを作る、と何度か本文中では言いましたが、「間テクスト性」の言うように厳密な意味での創作というものは存在しないと僕は信じています 


 運転免許がとれました

自動車学校に行かなくなってからは、ずっとユーチューブ、漫画、読書などを続けております

最近読んだもののコーナー

北斗の拳
スラムダンク
リアル
幽遊白書
ドラゴンボール
Dr.スランプ
パタリロ
ろくでなしブルース
ルーキーズ
べしゃり暮らし
珍遊記
つっぱり桃太郎
ピューと吹くジャガー
デスノート
巨人の星
新巨人の星
エースをねらえ
ベルサイユのばら
ママレードボーイ
彼first love
僕らは知ってしまった
僕らがいた
頭文字D
どっぴいかん
サラリーマン金太郎
F
ボンボン坂高校演劇部
ボーイフレンド
あずみ
キン肉マン
僕は妹に恋をする
パラダイスキス
ご近所物語
すみれはブルー
ビーストマスター
あたしはバンビ
愛してるぜベイベ
パピヨン
SとM
ジョジョ1−6部
スティールボールラン


文科系必修研究生活術 東郷雄二
社会学の名著30 竹内洋
社会学の命題 作田啓一 井上俊
社会科学の方法 大塚久雄
現象学 木田元
文化の社会学 井上俊
日本文学史序説(上)加藤周一
フッサール 門脇俊介
現象学的社会学 シュッツ
失われた時を求めて1、2巻(ちくま) プルースト
草枕 夏目漱石
感情教育(上)フローベル
官能小説いくつか


最近見たもの

ガンダムZ
ガンダムSEED
ガンダムOO
エヴァンゲリオン
臭作(OVA)

それから、さる広島の映画好きの友人が好きといっていた映画を記憶をたよりに探して見ました
勝手にしやがれ
ミーンストリート
大人は判ってくれない
市民ケーン

恐るべき子供たち(愛するコクトーの原作)



思い出せるのだけ挙げてみましたが、時間があるということは実に素晴らしい


そして久方ぶりに思い出したこの感覚
僕はコクトーと、官能小説が好きだ

東京に戻りたくなった


そんなわけで次回は「僕は妹に恋をする」をご紹介



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