偏見と主観をまぶした異文化紹介ブログ
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Paul Collins' Beat/The Beat+The Kids Are The Same
こんばんは
今日はPaul Collins' Beatの1stと2ndを
これはそれが両方入ったお得すぎるCDです
できれば別々に買いたいけどね
Power Popの大家、Paul Collins'です
昔はThe Nervesでやっていて、そっちのほうも大層良いので聴いてみて
はーPower Popてなんて素敵なんでしょう
話はそれるけど、ここで、華厳の滝に身を投げて死んだ藤村操のご紹介でも
明治時代、彼は17歳で、日光にある華厳の滝から身を投げます
思索の果てに、何ものにも答えがないことを知ってしまったのでしょうか
彼は自殺する直前に、ミズナラの木に辞世の句を彫り付けてます
- 悠々たる哉天壤、
- 遼々たる哉古今、
- 五尺の小躯を以て比大をはからむとす、
- ホレーショの哲學竟に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
- 萬有の真相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解」。
- 我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る。
- 既に巌頭に立つに及んで、
- 胸中何等の不安あるなし。
- 始めて知る、
- 大いなる悲觀は大いなる樂觀に一致するを。
これです
彼のあと、ヴェルテル効果(ゲーテの若きヴェルテルの悩みから由来)、という後追い自殺が多発したらしいですが、当然僕も憧れます
なんて悲しき哲学者
いや、悲しくなんかないのか、それは本人にしか分からないけど
考えるのを辞めたBob Dylanは、答えは風の中にあると笑い飛ばしますが、藤村操は風の中の答えにすら手を伸ばそうとしてしまったのか
音楽というのは、或る種の答えの提出、だと思います
作る側、受け取る側、という立場的な違いはあるけど、双方とも、音楽の中に答えを見るはずです
少なくとも僕はそう信じています、ごく薄っすらと
大好きな真島昌利が「中原中也も萩原朔太郎も、今生きてたらロックやってると思う」と言っていましたが、藤村操もそうかな、そうであって欲しいなと、個人的には思います
すごく間延びした感じになったけど、そして、そんな答えのひとつ、Power Pop
ポップて言うのはただのキャッチーさではない
キャッチーなのはJPOPだってキャッチーでしょう
ポップとは、もっと普遍に迫る行為です
その素敵なPower Popの、素敵なPaul Collins' Beat
ぜひ聴いてみてください
あ、あと、個人的にはポップの「ポ」は、Paul MacCartneyの「ポ」だと思ってます
それでは
素敵な夜を
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