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偏見と主観をまぶした異文化紹介ブログ
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日比谷の野音にライブを見に行ってきました

SIONという人間のライブでした
僕は彼を知りません
アルバムも持っていないし、曲も2曲しか知りません
友達に誘われて、ただの物見遊山のつもりでした



ステージにいる人間は、ギャル男のファッションでした
オーディエンスは明らかに、どうしようもない人間たち
40を越えているような人がほとんど
ほとんどが独りでライブを見に来ているらしく、開演前の野音の周りに座って、発泡酒を飲む人々の群れ

でもライブは、とても良かった
客も、出演者も、野音の空気は勿論

僕は開演前からビールを飲んで、ウイスキーを懐に忍ばせました
そのウイスキーが空になるころ、暗くなってきた日比谷の空はキラキラと輝いていました

おっさんに歳を聞かれて、「若い人間がいて嬉しい」と、言われました
おっさんは笑っていました

横を見ると、こわそうなおっさんが笑いながら号泣していました

リーゼントのおっさんは、ファンクラブの座席で、控えめに握ったこぶしでリズムを取っていました


僕は見た、並み居る人々の千の感動を
そしてそこに2曲しかしらない自分も確かに含まれていたことを

そして朝まで飲みました

その日の新宿の朝は、とても優しかった

寝ます
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ポールニザンの20歳から気付けばもう3年も経って

僕の高校の友人たちはみんな社会に出ました
彼らはいろんなところで、いろんなことをしているんだろう

就職で東京に出てきた友達もいれば、岡山や関西で就職していたり、岡山の田舎で教師をやったり、僕と同じように浪人したのでまだ学生だったり、バンドやったり、医者を目指したり、国家試験の勉強をしていたり

たかが三年、岡山の辺鄙な高校で席を同じくしただけの間柄
それでも僕の中では、この間柄はひどく大きな意味を持つ

今頃、僕らが通った高校の周りは、むせ返るような田んぼの匂いで溢れているのだろう
僕が住んだ高校近くのアパートにも、知らない人が住んで

歩き回った百間川の河川敷も、何か変わっているんだろうか
何も変わっていなかったらいい


昨日、バイト先のお好み焼きやで飲んで、すごく酔っ払って帰って来ました
酔っ払った夜というのは眠れないもので、何度も夜中に眼が覚めて、何度も頭痛を感じながら、煙草を吸った

そして何度も同じ夢を見た
高校の近くに住んでいる仲の良い友人が、以前は自転車で通学した道を、今は車に乗って通り、どこか遠くに通勤して行く

僕はそれを遠くで見ている



201JOTOは勿論、コスモクイーン津倉も、ジュネス鹿田も、もう岡山には無い

思い出は本当にいいものだ
心において、見据えておけば他は何処も見ないで済む

でもやっぱり退屈

今日は出かけよう


大学4年生の人は卒業に際し、いろんなところへ行かれるのでしょう

僕もその一人
今年度に入って山梨行ったし、軽井沢行ったし、来月頭にもう一回軽井沢行くし、夏には関西行こうと思うし

でも海外は難しいねー
如何せんお金が無いのです

海外へ行こう、という話が出ている間柄もあるにはあるのだが、ごめんなさい無理そうです

みんなどうやって海外へ行くのか
爪に火を灯す思いをしてバイトと倹約に励むのか
それとも借金をするのか
親に出してもらうのか(羨ましすぎる、去んでくれ)

とにかく金が無ければなにもできない


金が無ければ何も出来ない
こういう結論が出ると、金で人生を計る生き方もあながち間違いでは無いと思ってしまいますね

言ってしまえば僕は高学歴だ
高学歴=高収入という神話は最早(今まであったのか知らないけど)無いとはいえ、それでもこんな生を抱いていく現実味は、いまだある

人生を選択肢で捉えるなら、僕はやりたいことをやる道を選んだ
多分金銭には愛されることの無いであろう生活

本当によく考えた末の結論、勿論後悔はしてない

でも、やっぱり不安でしょうがない

なけなしの金で買ったレコードを帰って聴く楽しみが
好きな本を読む喜びが
喫茶店で惰眠を貪る喜びが
鏡月をつまみなし、水割りで飲む喜びが

代替し、また風化してしまわないことを切に願います
一生このまま居たい



今日はCCRのグリーンリバー

CCR良いねー
有名な雨を見たかい、だけでは決してないんだ


誠実な人が、好きだ、と最近強く思います

誠実、というのは自分の意志の声に、誠実な人間
自分の声が聞こえていない人がなんと多いことか、と思います

これはニーチェ的に言う、力への意志
まあこんな引用はどうでもいいとして

行動の指針が「何が正しいか」というものである人が、本当に多い
でも人間にとって一番大事なのは、「何がやりたいか」ではないのでしょうか

自分の声に耳を塞ぎ、社会の物差しで自分を、社会を測る
こんなことを続けていては、今に何にも聴こえなくなってしまう

やりたいことをやればいいと思います
そもそも、何が正しいかなんて、そんなもんは無いんだ


今日は吉祥寺に行きました

梅雨に入ったのに久々に晴れて、やっぱり晴れも好きだ、と思った

井の頭公園に行って、木と池と太陽と、行過ぎる人々を見た

デジタル一眼レフを首から提げて、大勢の若者が通り過ぎる
流行には疎いけど、今一番流行っているのは、カメラに似たネックレスなのか

彼らはそのネックレスで写真を撮り、家に帰って写真を眺めるんだろう
さぞかし立派な表現者の顔をして


それから古本屋を巡って、谷崎潤一郎と、ボーヴォワールと、永井荷風と、ポールニザンを買った

こんなに一気に本を買っても、読めるわけがないのに

そして電車に飛び乗って、また日付が変わるまでお好み焼きを焼いた



こんばんは

今日もええ夜です
梅雨は嫌いじゃない


僕には、漠然とした「時間が無い」という意識が強くあります

時間が無いと焦っている、いつも、なぜか


最近人と会うごとに「今死ねるか?」という質問をする
でも未だ嘗て「死ねる」と答えた人間は居ません

今、死ねると思う人はいるでしょうか

死ねる、と答えることが出来るのが僕は理想だと思います
今を全的に生きることが出来る人は、きっと今を死ぬことができる
よすがが無い場合と言う限定付きで、机上の論理ですが

よすがが無い人間は人間ではない

しかしここでは完全に主観の問題で

僕は、今死ねない
でもきっと酔っ払っているときに訊いてくれたら、「死ねる」と言うと思います

嘘でも、僕は死ねる、と言います
死ねる、と心から言いたい


みなさん、嘘でも、「死ねる」と言ってくれ

「今は死ねない、この先きっともっと楽しいことがあるから」
こんな愚にも付かない無価値な希望で、唯一存在している、輝ける「現在」の価値を下げるのはやめてくれ

その未来に対して漠然とした希望を持つという態度は、ただの盲目と、逃避だ

未来も、過去も、一切存在しません
そんなものに希望を持つのは、やめよ





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