偏見と主観をまぶした異文化紹介ブログ
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本日は岡山からお送りいたします
鬱病というものについて
僕は鬱病じゃないし、無論鬱病の人間の気持ちは分かりません
さぞかし辛いのだろうと思っています(皮肉では無しに)
僕の周りにも少なからずそんな人がいますし、人がどう思っていようが僕には関係のない事ですし、そこは好きにすればいいと思います
その人たちに対して異を唱えるつもりでは全くないのですが
しかし、世の中には、なんと精神病を騙る人が多い事か
精神病とは自己正当化の手段と言えるのではないか、そんな印象さえ受けます
病院に駆け込んでご大層な病名を頂いて、それを両足にして立つのも悪い事ではないんでしょうが、僕は好きではありません
そんな人に限って、他人に「私精神病なの」と言いたがるような気もします
ここは僕の持論ですが、本当に精神を患っているような類いの人は、そんなこと他人に言わないと思います
精神病の人を殺人犯だとすると、精神病騙りは万引きでTVゲームを盗んだ中学生くらいのものでしょうか
大体、人間の感情の本質は、絶対に悲哀です
悲しくない人間なぞいません
ただ、そんな人はいろんな物(正当化は勿論、金銭や社会的地位や娯楽)で壁を築いて悲しみから目を背けようとしているだけです
てことで、悲しいと思っているあなた、あなたは残念ながら普通の人間です
と言っても厳密に精神病と騙りを区別する術なぞ無く、全ては自己申告制なので騙りのあなたも正しいのですが、本当に悲しいのならば酒や麻薬に溺れるか、自伝でも書いて自殺すれば形式的にも全てOKです、万歳
ここらで止めにします
万感の嫉妬からこんなこと書きましたが、僕は、精神病の人間は格好良いと思います
ジョーイラモーンとか、ね
もうホント素敵
僕はいいと思う
苛烈な極的感情は、全て等価なのだと言うのが僕の持論です
めっちゃ楽しいのも、めっちゃ悲しいのも、一緒
寧ろ、感情なんて物は本質的な悲しみの上辺を形作る二次的要素ではないのかと
精神病の方、圧倒的に悲しいのならば、その悲しさで僕を楽しませてください
悲しみを知っているという素敵な才能を持っているのだから
鬱病というものについて
僕は鬱病じゃないし、無論鬱病の人間の気持ちは分かりません
さぞかし辛いのだろうと思っています(皮肉では無しに)
僕の周りにも少なからずそんな人がいますし、人がどう思っていようが僕には関係のない事ですし、そこは好きにすればいいと思います
その人たちに対して異を唱えるつもりでは全くないのですが
しかし、世の中には、なんと精神病を騙る人が多い事か
精神病とは自己正当化の手段と言えるのではないか、そんな印象さえ受けます
病院に駆け込んでご大層な病名を頂いて、それを両足にして立つのも悪い事ではないんでしょうが、僕は好きではありません
そんな人に限って、他人に「私精神病なの」と言いたがるような気もします
ここは僕の持論ですが、本当に精神を患っているような類いの人は、そんなこと他人に言わないと思います
精神病の人を殺人犯だとすると、精神病騙りは万引きでTVゲームを盗んだ中学生くらいのものでしょうか
大体、人間の感情の本質は、絶対に悲哀です
悲しくない人間なぞいません
ただ、そんな人はいろんな物(正当化は勿論、金銭や社会的地位や娯楽)で壁を築いて悲しみから目を背けようとしているだけです
てことで、悲しいと思っているあなた、あなたは残念ながら普通の人間です
と言っても厳密に精神病と騙りを区別する術なぞ無く、全ては自己申告制なので騙りのあなたも正しいのですが、本当に悲しいのならば酒や麻薬に溺れるか、自伝でも書いて自殺すれば形式的にも全てOKです、万歳
ここらで止めにします
万感の嫉妬からこんなこと書きましたが、僕は、精神病の人間は格好良いと思います
ジョーイラモーンとか、ね
もうホント素敵
僕はいいと思う
苛烈な極的感情は、全て等価なのだと言うのが僕の持論です
めっちゃ楽しいのも、めっちゃ悲しいのも、一緒
寧ろ、感情なんて物は本質的な悲しみの上辺を形作る二次的要素ではないのかと
精神病の方、圧倒的に悲しいのならば、その悲しさで僕を楽しませてください
悲しみを知っているという素敵な才能を持っているのだから
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