偏見と主観をまぶした異文化紹介ブログ
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ライ麦畑でつかまえて/J,Dサリンジャー
この本のレビューが書きたいがために円盤堂を始めたといっても過言ではないです
面倒くさくない奇特な方、どうぞお付き合いください
いきなり冒頭から、大好きです
☆もし君が本当に僕の話を聞きたいんだったら、おそらく君が最初に知りたいのは、僕がどこで生まれただとか、しみったれた幼年時代がどんなものだったかと か、僕が生まれる前に両親はどんな仕事をしていたかなんていう「デビッド・カッパーフィルド」調のやつなんだろうけど、僕はそんなこと話す気になんてなれ ないんだな。第1、そんなの僕自身退屈なだけだし、第2に、もし僕が両親についてひどく私的なことでも話したとしたら、2人ともそれぞれ2回ずつくらい頭 に血を上らせることになってしまうからね ☆
アインシュタインは、「常識とは、18歳までに集めた偏見のコレクションのことを言う」と言っていました
16歳のホールデン・コールフィールドには常識が無いのでしょう
やすやすと常識を覆します
表紙から裏表紙まで、絶えざる痛快極まりない語り口
日本語に翻訳してですら、ナイフのように研ぎ澄まされた言葉、文体
さながら大長編の寸鉄詩のよう
文章を受け取る胸は、壊れるほど強く打たれ続けます
ホールデンと同じ16歳という年齢を経て、今に至る僕の心が感じるのは、懐かしさと強い憧憬
悔しいくらい憧れます
僕はちょうど16歳のときに高校の図書館でこの本を借りて読んだのですが、当時はあまり良さが分かりませんでした
ホールデンと同じような心象は思春期にある人なら誰でも同じように持つものです
しかし、当時の僕はこのアイロニックで、自分以外の全ての社会に対して斜に構える若者の性質を、素晴らしいものとは思えなかった
こんな排他的でひねくれた自分が本当に嫌いで、もう少し社会とうまくやっていきたかった
ホールデンも同じように考えているのかもしれませんが
22歳になった今は、その若者的性質を素敵なものだとみなせる
「僕は20歳だった。
20歳がうつくしい年だなんて誰にもいわせない」
とはポール・ニザンの大好きな言葉ですが、まさにそれだと思います
歳を経るにつれて、この小説は色を変え形を変え、大きさすら変えましたが、見た目は以前と同じ白水社の素敵なブックカバーに包まれて、僕の本棚にあります
また読みたくなってきた
うーん、寝よう
今日はこの辺で
まだ気が向いたときに続きます
PR
Comment